内向的な、あまりにも内向的な

内向的な性格な僕の思考

他者と自分の意見が違った時、自分がわかる

意見に反対でもそれを主張することそのもの自由は守られるべきだ

 

私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。フランスの思想家ヴォルテールの言葉

 

この言葉はフランスの思想家として名高いヴォルテールの言葉として伝わるものらしい。

 

この言葉で示されている態度表明こそ言論の自由を守るために必要な態度表明だと感じている。 

 

しかし日々、いろいろな人の意見を聞く機会があるがこのような態度表明はなかなか出来ていない。

 

またはこのような態度表明をしているように見えても実際はそれを実践出来ていないと感じることがある。

 

ではそのような態度表明が出来ていないと感じられる場面はどんな場面だろうか。

 

自分が試される時は得てして他者と意見が違った時だ

 

僕は議論するのが好きで特に学生時代なんかは読書会なんかに入って偉そうに意見をしていた。

 

そんな学生時代の読書会の中で試される場面というのが僕と考え方が全く違う人との議論だった。

 

僕の中では彼を論破することが快感だった。

 

そのような幼稚な考えでは他者の意見に耳を傾けるという寛容さは持てない。

 

ただ当時の僕の中では彼とは意見が違っていても、彼の意見を封殺するような態度はとっていないと思っていた。

 

しかし、今から考えれば随分と高圧的だったのではないかと思う。

 

彼は自分というものをしっかりと持っている人だったから、僕がどんなに彼の意見と反対のことを言っても、あるいは彼の意見に疑義を呈しても必ず意見をしてくれていた。

 

そんな彼だからこそ幼稚な僕の態度にも寛容に対応してくれていたのだと思う。

 

こういう場面で自分がどれだけ冷静に意見を言えるかまたは相手の意見を取り入れつつ自分の意見を言えるかが重要だと感じる。

 

学生時代の僕はそれがわかっていなかったと思う。

 

大切なのは論破することではなく、自分の意見を表明しつつ相手の意見も尊重できる姿だ。