『Aではない君と』を視聴して考えたこと2
少し時間が経過してしまった。
もう少しだけドラマ『Aではない君と』について語りたい。
ドラマの中で加害少年が言った言葉が印象的だった。
人を殺したら罪になるのに動物を殺しても罪にならないじゃないかと。
この時、少年が言いたかったことは同じ命なのに一方は何らかの形で裁かれ一方は罪にも問われないという意味なのだろう。
そこで問われているのは同じ命であるにも関わらず人間と動物でなぜ扱いが違うのかと。
少年は一つ勘違いをしている。
決して動物を殺しても罪に問われない、裁かれないわけでもない。
動物を殺せば器物損壊罪という罪には問われる。
ただやはり人間の命と動物の命には法的に差があるし人間と動物の間には法的に差がある。
それは近代法が選んだ選択だと言える。
近代以前、特に中世ヨーロッパでは動物が裁判にかけられることもあった。
動物に権利を認めることもあったようだ。
このようなことを聞くとなんだか今よりも進んでいるように思えるかもしれないがそれは違っている。
中世ヨーロッパでは国家が一元的に法を制定するわけではなく教会法など法と宗教が密接に絡んでいた。
そして何よりも重要なのは人間の間には身分の差別がありそれが法の適用に影響する。
身分によって罪の軽重が違っていた。
人間はみな平等でありどのような身分であろうとも平等に権利が認められ保証されるということは近代法になってからやっと実現した。(厳密に言えば近代法の初期においては必ずしも完全な平等性を持っていたわけではない例えば女性には参政権がなかったなど)
このように人間という存在であればそのように誰でも権利が保証されるという原則論が確立していく中で弾かれた存在になったのが動物だったのだろう。
動物は部分的に権利を認められていた権利主体から客体へと格下げされた。
しかしそれは同時に人間の間にあった身分等の差を無くし現在の近代法への道を開いた。
ちょっと話が発展しすぎたが少年の疑問はもっともではあるけれどもそういうことになっていることにはそれなりの意味があるということをここでは言いたかった。
