内向的な、あまりにも内向的な

内向的な性格な僕の思考

映画 『蜜蜂と遠雷』感想(ネタバレも含みます)

映画『蜜蜂と遠雷』を観て来ましたので感想を書きたいと思います。

 

小説の書評については下記記事

 

tukasa131.hatenablog.com

 

映画との距離感

 感想の前にまず僕が映画をどれくらい観るかという話をしたいと思います。僕は映画をほとんど観ません。一年に一回映画館で観るか観ないかというぐらいです。なので映画的文脈を知らない人間です。

 

 

原作と映画の差異

 今回の感想は原作を読んだ上で、映画版ではどうかという視点から感想を述べていきます。まず僕はピアノコンクール、クラッシック音楽に関わる者の群像劇と原作を評しました。そしてその原作をどのように映画にしていくのかということに関してはかなり興味がありました。

 

 原作はかなりの大著だしそれをそのまま映画化するのは難しいと思えたからです。そして何よりも難しいと思えたのは原作で出てくる登場人物が奏でる演奏を文学的に表現したところです。僕としてはこの部分をどう表現するのかというところに着目しながら映画を観ていました。

 

 原作では先程も述べたように群像劇として描かれていたところを、映画では消えた天才少女だった栄伝亜矢という登場人物の復活劇という側面で描いていきます。ここは映画化するにあたって妥当な変更点だったと思います。

 

 なぜなら原作が持っている群像劇感をそのままやると映画の尺では足らないと思うからです。ただ個人的に残念だったのが、映画化するにあたって栄伝亜矢の復活劇を描くためか栄伝亜矢の性格が原作と少し違っている点でした。

 

 映画の栄伝亜矢はピアノ演奏に対する迷いをかなり強調しています。これは栄伝亜矢の復活劇をより際立たせるための手法だと思うのですが、原作から入った僕はどうしてもこの栄伝亜矢の描きかたが少し残念でした。

 

 原作の栄伝亜矢はピアノ演奏に対する迷いや音楽に対する迷いというものを持っていたましたが、それだけではありませんでした。むしろそれよりも音楽に対する無邪気さの方が優っているそんな性格でした。

 

 その性格のためか友達の奏(今回の映画には登場しない人物)も心配するほど出場する他のコンテスタントの演奏を楽しんでいたりします。原作ではそういう無邪気さがある意味、風間塵とも通じるような規格外の天才というところに繋がっていると思います。

 

 そしてこの部分の変更がある意味、風間塵のこの映画における重要度の低さに繋がってしまっているように思えます。栄伝亜矢の復活劇を中心に描くなら原作のように栄伝亜矢がどれだけ風間塵の影響を受けて演奏が進化していったかという視点で描くべきだったのかなと思ってしまいました。

 

 残念ながら映画では風間塵は栄伝亜矢に影響を与えた人物のひとりになってしまっています。しかし原作のキモの一つは栄伝亜矢が風間塵の演奏を聴きそれに触発されて演奏をより進化させていくところにありました。

 

 そしてそのキモこそが映画の冒頭でも出てくる風間塵の推薦状を書いたホフマンの言う風間はギフトだというところに繋がるのですが、そこがどうしても映画では主要登場人物のひとりとして描かれてしまったためか、そこがわかりづらくなってしまっています。

 

 その代わりなのか原作よりも映画では明石の役割を大きくしています。原作、映画どちらの明石も生活者の音楽家という視点を持った存在です。この生活者の音楽家を目指す明石が栄伝亜矢に与えた影響は映画の中では風間塵よりも大きくなっています。

 

 ここは勝手な邪推ですが、たぶん明石の比重を風間塵より大きくしたのは演技力に定評がある松坂桃李さんが演じるということでその役割は松坂桃李さんに任せたということだったような気がします。

 

 風間塵役の鈴鹿央士さんは今作がデビュー作になる新人さんのため原作のように栄伝亜矢に大きな影響を与える役割を担わせることが難しいと判断したからこのバランスになったのかな思いました。

 

 明石と言えば原作でも登場する明石の友達でTV記者の雅美のことについても触れます。原作での雅美は明石に対して微妙な距離感を持っていた気がします。この微妙な距離感というのは雅美がまだ明石のことを好きであるというところから出てくる微妙な距離感というか雰囲気だったのですが、残念ながらブルゾン・ちえみがこの雅美役で明石との関係はただの幼馴染的なものなってしまい、その微妙な距離感が出ていませんでした。(まあ細かいことと言えば細かいことなのですが)

 

原作を先に読むか後に読むか

 割とここまで批判的なことを言いましたが、このような感想を持った一つの原因は原作を先に読んだことによって生じていると思っています。原作から映画はこう変えたということばかりが気になり、どうも映画自体に集中しているとは思えませんでした。

 

 原作と映画の相違点や共通点を探しながら観るのも一つの楽しみ方ではありますが、原作という先入観が邪魔をして映画そのものを楽しめてないという気もしました。

 

 一回目観た時は栄伝亜矢の性格改変が気になり、もともと重要視していた原作オリジナルの楽曲『春と修羅』をどのように音楽的に表現するのかということをキチンと観れていませんでした。そのため二回目観た時にその点をちゃんと観るため原作の『春と修羅』の箇所を読み直して観ました。

 

 そのようにして二回目を観てみるとそれぞれの『春と修羅』が原作通りに再現されていました、特に風間塵の演奏がまさしく『春と修羅』を体現しているというところなど。

 

 役者さんは皆はまり役

 どの登場人物も役者さん(ブルゾン・ちえみ以外)ははまり役だったと思います。審査員のひとり三枝子役の斉藤由貴は三枝子のアバズレ感とかがパンツ事件のせいなのかどうかはわからないですが、役にピッタリだったし、マサル役の森崎ウィンはまさにジェラート王子という感じで風間塵約の鈴鹿央士さんも無邪気な天才というところを自然体で演じていました。

 もちろん明石役の松坂桃李さんも役に合っていました。そして何よりも役柄にはまっていたのは栄伝亜矢役の松岡茉優さんです。

 

 本編が始まる前にこれから公開される映画の予告をやっていますが、その映画の予告の中に『ひとよ』という映画がありました。この映画にも松岡茉優さんは出演しているのですが、栄伝亜矢役をやった人とは思えないくらい違う人でした。本当にいろんな役をやれる役者さんなんだと思い頑張ってほしいと思いました。

 

最後に

 原作との違いというところを強調した感想になってしまい割と批判的に書いてしまいましたが、映画は面白かったです。何が面白かった何が良かったのかと言えばとにかく松岡茉優です。これに尽きる映画だと思います。