功利主義で合コンでの男女の支払い金額の不平等性は指摘できるか?
下記ツイートの内容は、結局のところ人というのはたいして平等性とか公正さとか公平さなどの面倒なことはどうでもよくて、その場で楽しければよいという結論に至るのだけど、ここで言っているベンサムの功利主義を用いて男女での支払い金額の不平等性をどのような主張をしたのかが大変気になったので、私も考えてみたいと思ってこの文章を書いてます。
東大卒が初めて合コンに行った時お金の負担が男女で違うのを聞いてベンサムの功利主義を用いて間違っていることを主張して二度と呼ばれなくなった話好き。
— つむ (@revo_ut) 2020年6月16日
この東大生がどのようなベンサムの功利主義を使ってどのよう主張をしたのかは、ちょっとわからないけど、功利主義の観点から合コンでの男女の支払い金額が違うということの不平等性は指摘できると思う。
以下、私が考えた解答はこんな感じになります。
功利主義は、最大多数の最大幸福という考えを大原則としています。
この考えはどのような考えかというと、一人一人の幸福量を足し算していき、その全体の量を最大化していくという考え方です。
そしてこの考えの前提になっているのは、一人一人の幸福を計算するにあたって一人一人を平等に扱うということです。
この前提から、考えると明らかにこの男女の支払い金額が違うということは、一人一人を平等に扱ってないということになります。
こう考えるなら功利主義の立場から見ても、男女の支払い金額に差があるということは不平等だという結論になるのかなと思います。
こっからは、余談になりますが、僕はこのツイートを見た時に、功利主義から不平等性を指摘できるのかな?と疑問でした。
というのも功利主義は一人一人の幸福量は問わないというスタンスだと思っていたからです。
例えば、男女5人ずつの合計10人の合コンを仮定したとします。
この10人の合コンで3人の男性と5人の女性の満足度が80%、2人の男性の満足度が50%だとしても問題はありません。
全体の幸福度が高ければ高いほどいいので、それぞれの幸福度に違いがあっても問題がないのです。
功利主義は、一人一人を平等に扱いますが、一人一人の幸福度の平等性は問わないのです。
この違いはイマイチ理解が難しいですが、最初から扱いが違うというのと、参加者が平等に扱われた上でそれぞれが満足するかどうかという違いかなと思っています。
ちなみに今回は、ものすごく単純に考えましたが、もっと多数の条件を考慮に入れてこの問題を考えることももちろん出来ます。
そしてそこで出される結論は必ずしも不平等だということになるとは思っていません。
表面的に不平等だが実質的には平等だというような結論ももちろん出せます。
最後に参考文献