自身の教養のあり方
教養
きょうよう
culture
精神文化一般に対する理解と知識をもち,人間的諸能力が全体的,調和的に発達している状態。教養の内容は,その所有者が存在する社会の文化によって異なる。またそのような状態に教え導くことをさすこともある。今日の大学では,人文科学,社会科学,自然科学を内包する一般教養と,それを基礎としてそのうえにそれぞれの専門領域における専門教養とを体得させることを目指している。また教職教養を身につけることを要求している
。出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
僕はあまり要領も良くなく、鈍臭いく内向的な性格なため生きるが大変だと感じることが多々ある。
そういう自分の劣等感を埋め合わせるために教養を身に着けようと思いさまざまなジャンルの本を読んだりした。
今、振り返ってみるとそれはかなり乱雑な知識の積み上げだったと反省する部分もある。
そういう反省も含めて今回の記事では教養について考えてみたい。
辞書から教養という言葉を引用しているがどの辞書も大体今回の引用のような意味で教養を解説している。
精神文化一般というのがなかなかイメージがつきにくいところではある。教養の中身は
なにかということになるとこれもいろいろな見解があるけど、だいたい言われているのは芸術、哲学、歴史などの知識だ。
この辞書の解説で特にポイントとなるのは教養の中身は変わることがあるという点だ。
今の時代だったら、科学に対する知識やIT系の知識等もこの教養の中身に入るかもしれない。
僕自身の教養のイメージは幅広い知識や知性というもので、ものごとを考える際の基礎的な知識、知性といったところだ。
僕、自身そういう知性を目指してきた。そしてそういう知性を目指していろいろな本を読んできた。
冒頭に教養を得たいと思った理由が自分自身の劣等感を埋め合わせたいという願望からきたものだと言ったが正直、今もそういう部分がある。
自分を表現するのに元々の自分ではダメだという意識がどこかにありその意識が教養というものを着飾りたという意識にさせている。
本当はそういう意識を脱してもっと純粋に知識を求めたいという気持ちもある。ただ自分自身の劣等感ゆえかどうしても着飾りたいという感情をぬぐい去ることが出来ていない。
自分自身が目指す教養の姿は何かを知るということを純粋に楽しみながら、結果的に幅広い知識とそれを基礎とした深い知性だ。
それを目指すために僕はこれから自分自身の今持っている教養を整理しながら、自分に足りない教養を得ていきたいと思っている。