セクハラ問題を問い直す
某省庁の官僚のセクハラ疑惑が世の中を騒がせているが自分なりの考察をする。
セクハラ問題を考えるときに重要なのは、セクハラをされた側とした側の関係性である。
もちろんある人がある人をセクハラで訴えるということは訴えた側は当然、
訴えられた側を不快に思っており関係は破綻しているとみていい。
どういう場合にセクハラになるか。これはもう当たり前だけれどもされた相手がセクハラだと思った時点でセクハラである。
ではセクハラをした当人はどう思っているのだろうか。
これは当人にしかわからない問題であるが、大方のセクハラをした人間が自分はセクハラをしていないと思うのではないのだろうか。
そしてここにした側とされた側による認識の違いが浮かび上がってくる。
した側はもしかすると相手との信頼関係があるから、セクハラにはならないと思っているかもしない。
しかし相手の本当の気持ちなんてわかるのだろうか?
セクハラをする側はけっこう相手は信頼してくれているとか多少卑猥なことを言っても許容してくれると思っている節がある。
その相手に対する認識の甘さが、セクハラで被害を訴えられたりする原因になるのではないかと思えるのだ。
どんなに普段、例えば仕事上などで、仲良くしていたとしてもことセクハラ的な言動に対しては内心よく思ってないということもある。
ところがそういう想像が出来ず下ネタを話すと相手のノリが悪いというような全然見当違いな勘違いをしていたりする。
こういう認識の違いがセクハラのような言動を産んでしまうのではないかと思える。