17冊目『教団X』
たくさんの本を読んできたけれども自分の考えや思想信条が揺さぶられ問われる経験は意外と少ない。
重要なのはそういうものが揺さぶられ問われたと時、それに簡単に反発するのではなくそのことをよく考えるべきである。
そして私にとってそういう経験をさせてくれた本が本書『教団X』だ。
本書の話の展開はなかなか複雑な面がある。
ある教団に関わりがあると思われる恋人を探して主人公が彼女と関わりのあるという教団に接触する。
けっきょく主人公が接触した教団は現在、彼女が所属している教団ではなく敵対している方の教団だった。
本書が複雑に感じられた点は本書にはさまざまなテーマが組み込まれているからだ。
量子力学、宗教論、国際政治の現実、現政権に対する批判、太平洋戦争に対する評価等々。
本書のテーマは他にもあるがざっと並べるとこんなところだろう。
私自身が揺さぶられ問われたと感じたのは以下、公安の人間がこの国の言論空間というものがどういうものなのかを説明している箇所の一部抜粋である。
我々が何をしても中国と韓国という『敵』をさえ与えておけば我々を擁護してくれる。彼らは強い権力の側に身を置き、何かの思想の中に入って他を攻撃することが好きなのだ。
他を攻撃すれば自分達が優れているという快感を得ることができるから。彼らは我々のような保守を否定することは絶対にない。一度信じたらもう何を聞いても何を読んでも絶対に否定はしない。なぜなら、我々を否定することは自分の否定につながるからだ。
一度信じたものから距離を置き、これまでの自分を疑い新しく生まれ変わる勇気を持つことができる人間など多くない。それは大変な苦痛だからだ。自分の考えなど彼らは欲していない。P471-P4721より
長々と引用したがここで述べらているように自分たちは自分考えなど欲していないのかもしれない。
また一度何かの考え方にかぶれるとその考え方を否定することは確かに難しい、それは引用文にもあるように大変な苦痛だからだ。
そうなると自分にとって心地の良い意見や考えを述べてくれるものを欲してしまう。
その方が楽だからだ余計なことは考えなくていいし精神的な苦痛もない。
ただここで述べられているようなことは保守的な考えを持った人々だけではなく革新的な考えを持った人々にも言えることだろう。
冒頭にも述べたように本書は僕にとって自分の考えや思想信条を揺さぶられるものだった。
その理由は著者の思想信条と僕の思想信条が違うからである。
自分と違う考えをどのように自分の中で咀嚼するかそれが重要だ。