18冊目『すばらしい新世界』
『1984年』と比較されることが多く『1984年』と並び立つ傑作中の傑作。
本書に関しては私が今まで読んだ本の中でも一番面白かったと断言でき本書について語りたいことは山ほどある。
本書を一言で表現すると「不自由で不平等なのに幸福な社会」といったところだろう。
不自由で不平等なのに幸福とはどういうことだろう。
本書、『すばらしい新世界』ではまず人々は工場で生産される。
しかも生産された人々は遺伝子によってそれぞれ階級が定められている。
そしてそれぞれの遺伝的階級によって定められた役割を与えられその役割を疑問なく果たせるための教育を受ける。
上の階級の人間は下の階級の人間を見下すが下の階級の人間が自分たちの階級に疑問を持つことはない(それはそのような疑問を持たないように遺伝的に操作されているし疑問を持たないように教育を受けているから)。
このような世界でも当然イヤなことはあるがそれも「ソーマの休日」と呼ばれる薬物療法によって忘れられる。
人々はどの階級に所属しようともその階級にふさわしい役割を与えられその中で生きている。
この世界には自由も平等もない。
でも一見するとこの世界は幸福な社会に見えるのだ。
本書が恐ろしいのはそして魅力的に思える部分がこの点なのだ。
人々はそんなに自由や平等を望んでいるのだろうか?
このすばらしい新世界のように最初から役割が与えれてそれに何の疑問も持つこともなく生きられるなら……。
その方がいいのではないだろうかと。
仕事が自分に合ってるかどうかなんて考えなくていい。
なんせ最初から役割は与えられているのだから。
自分にはどんな能力があるのかなんて考えなくていい。
なんせ最初から能力は決まっているから。
すばらしい新世界では生産性があるかないかなんて問う必要性がない。
なぜなら最初から皆、生産性がある存在として定められているから。
このすばらしい新世界の恐ろしいところはどんな階級の人間もこの世界を維持するために必要とされているというところである。
だからこの世界では誰かが疎外感を感じるということはない。
なぜならどんな階級の人間も必要だからだ。
だからこそこのすばらしい新世界は不気味な魅力を感じてしまうものになっている。
社会の中で生きづらさを抱えた人々にとってなぜ社会で生きづらいかと言えばそれは自分が社会で必要とされているのか?という不安を覚えたり自分は社会に適合できていなのではないかと思うからだろう。
しかしこのすばらしい新世界ではそんなことを感じさせないわけである(そもそも感じることもない) 。
あなたは行ってみたいだろうか?
不自由で不平等なのに幸福な社会へ。